2009年6月15日月曜日

天狗について。

さて、本日勉学に勤しんでおりました所、ちょいと思うところがあったわけですよ。


「思うところ」とは天武天皇こと大海人皇子の事。

彼は大化の改新後大王となって政治の実権を握った中大兄皇子(天智天皇)を手助けし、彼の信頼を買った有能な人物。彼の没後大王の座を継ぐは自分と思いきや、中大兄皇子の指名した世継ぎは息子・大友皇子。

これが気に食わなかった大海人皇子は、政治から離れて吉野山へ出家。いつか来たる反乱の時に備え、今はひとまず身を隠します。

大海人皇子の野心は見て知れるもの。やがて大王の後を継いだ大友皇子は大海人皇子を亡きものにしようと少しづつこっそりと仕掛けだします。これにかこつけて大海人皇子は反乱を決行。野山を僅かな人数で歩き、仲間を探します。

これ以来、大海人皇子は数度となく不思議な事を成したといいます。

出された魚を半分だけ食べ「私がいずれ天下を取る者であるのなら、この魚は生き返るだろう」と言ってその半分の魚を川に返せば、半分だけの魚は何事もなかったように動き出しただとか、戦中の雷を「私が大王を継ぐものならば、雷はすぐに止む」と言えば雷はぴたりと止まったとか。

ここが引っ掛かったわけですよ。

大海人皇子は元々占いに長けていたといいますが、このようなさても面妖なエピソードが語られるのは吉野山で出家して以来と言うのですな。
更に吉野山は修験道で有名な霊験あらたかな土地。



そこでなんか、よくない糸が繋がっちゃったんですなあ。
あ、こりゃ天狗かな?と。



そもそも生物としての天狗ってのはおおまかに四種類いて、
・修験道系の天狗
・仏教系の天狗
・災厄をもたらす天狗
・民間伝承に伝わる新しい天狗
なんですな。一般的な天狗のイメージにおいて彼等の着てるものは修験者のそれである事が多いですし、天狗という存在は修験道の広まりとともに広まっていったらしく、山に篭って修行する彼等への信仰が天狗様という形で現れたのかも知れません。

修験道で名を馳せる吉野山、そこに出家して以来その手の話が浮かんだ大海人皇子。
こいつは「大海人皇子は天狗様より神通力を賜った」なんて三文妄想も浮かぶってもんですよ。

…まあ、修験道が信仰されるようになったのも平安時代からだし、天狗が言われ始めたのもその辺だし、修験道自体がなけりゃ吉野山もただの坊主の山だし、かーーーなり無理のある説ではありますがねえ。

でもまあ、平安末期に名を知らしめた源義経も山で天狗に身のこなしを習ったっていいますし、つい。あ、これもそういう型かな?って。思い込んだら止まんなくなっちゃって。
こうしてインターネットにいい加減な情報垂れ流すんですよねえ、俺って奴は。

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